ファン・ゴッホ、遠景の表現
Background of the pictures of Van Gogh
In this essay I shall cover five pictures of Van Gogh's which are 'Miners in the Snow', 'Country Road in Loosduinen near The Hague', 'A Factory', Fish-Drying Burn' and 'Harvest Landscape', the latter of which is one of the most famous works of Van Gogh's.
The object of this essay is to confirm Van Gogh's consciousness or intention which can be seen in the background of these paintings. In this essay I shall define the hidden aspects of these pictures in terms of the many factors which have formed them. It's as if we are looking at the process of development in Van Gogh's awareness of planes and two-dimensional forms.
キーワード:ゴッホ、ファン・ゴッホ、造形的分析、偽作、贋作、遠景、合理的視点
はじめに
ファン・ゴッホ研究の主要な対象が彼の「特異な」伝記的興味から作品そのものに向かうようになってから久しい。周知のように、ファン・ゴッホの研究書は膨大であるが、依然として著しく遅れているのが作品の根幹をなす造形的分野での研究である。画家ファン・ゴッホを突き動かした衝動(動機)に始まり、制作プロセスを経て完成に至るまで、造形的視点から詳細にわたって明らかにしたものに出会うことはない。作品を成立させている根本的なもの、すなわち構図、構造、動き、強調、単純化、色彩の対比と輝き、平面化や遠近法、余白など諸々の造形的要素の本格的考察すら皆無である。
それが要因となって、ファン・ゴッホ研究にとって不可欠のヤン・フルスカヤ著『ファン・ゴッホ完全図録』にも、ファン・ゴッホの造形とは程遠いものが相当数紛れ込んでいるし、なかには「ファン・ゴッホを代表するような有名な作品」もあり、それらを前提に「ファン・ゴッホ論」が構築されつつある深刻な状況を憂慮しないわけにはいかない。
この現状を変えることができるのは、素材面からの研究の助けを借りた緻密で説得力のある造形的考察の積み重ねしかあり得ない。しかも個々について論証するのではなく、ファン・ゴッホの作品全体を包括できるような体系だった研究が求められている。
絵画を造形的視点から考察、あるいは研究するといった場合、注目しなければならないのは、タッチや色使い、画風などの表面的要素ではなく、広義のデッサン力である。デッサン力とは、画家の意図したものを画面上に的確に表現する、いわば、総合的造形能力というべきものである。そこで鍵を握るのは、作品に対する画家自身のたゆみない努力や譲れないこだわりの集積であって、漠然とした知識の集積や、受動的、義務的な訓練の積み重ねではない。
また、作品を研究するとき、つねにその中心に据えなければならないのは、画家のデッサン力はじめ、造形に関する諸要素を分析的に見極める考察である。それは論じる側の造形を把握、分析する能力にも関わってくるので、現実的には難しい面もある。しかし、この部分を疎かにして絵画(芸術)や画家を論じることはできないだろうし、当然、本物と紛らわしいものを峻別することなどできるわけがない。とくに巧妙に仕組まれた偽作が多いファン・ゴッホの場合、このことはとくに重要な意味をもっている。
ここに掲載する論文は『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(仮称)の冒頭部分、「遠景の表現」である。『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(同)は、ファン・ゴッホの造形観が形成されるオランダ時代の作品を中心に、「遠景の表現」「人体の骨格的把握」「ムーブマンの表現」「農具を持つ手の構造的把握」「光と空気を媒体にした質感表現」「遠近法と平面性の統一」から構成される。
それらは、ファン・ゴッホのなかに、あらゆる対象に対して、強い合理的な把握の要求があったことを明らかにするものである。それぞれは完結しながら『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(同)の一部を構成している。
『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(同)は、最終的にはファン・ゴッホの造形の諸特徴、本質を具体的に例証することになり、ファン・ゴッホとそうでないものとを説得力をもって峻別するわたしの大きな研究の一部として位置づけられるだろう。
In this essay I shall cover five pictures of Van Gogh's which are 'Miners in the Snow', 'Country Road in Loosduinen near The Hague', 'A Factory', Fish-Drying Burn' and 'Harvest Landscape', the latter of which is one of the most famous works of Van Gogh's.
The object of this essay is to confirm Van Gogh's consciousness or intention which can be seen in the background of these paintings. In this essay I shall define the hidden aspects of these pictures in terms of the many factors which have formed them. It's as if we are looking at the process of development in Van Gogh's awareness of planes and two-dimensional forms.
キーワード:ゴッホ、ファン・ゴッホ、造形的分析、偽作、贋作、遠景、合理的視点
はじめに
ファン・ゴッホ研究の主要な対象が彼の「特異な」伝記的興味から作品そのものに向かうようになってから久しい。周知のように、ファン・ゴッホの研究書は膨大であるが、依然として著しく遅れているのが作品の根幹をなす造形的分野での研究である。画家ファン・ゴッホを突き動かした衝動(動機)に始まり、制作プロセスを経て完成に至るまで、造形的視点から詳細にわたって明らかにしたものに出会うことはない。作品を成立させている根本的なもの、すなわち構図、構造、動き、強調、単純化、色彩の対比と輝き、平面化や遠近法、余白など諸々の造形的要素の本格的考察すら皆無である。
それが要因となって、ファン・ゴッホ研究にとって不可欠のヤン・フルスカヤ著『ファン・ゴッホ完全図録』にも、ファン・ゴッホの造形とは程遠いものが相当数紛れ込んでいるし、なかには「ファン・ゴッホを代表するような有名な作品」もあり、それらを前提に「ファン・ゴッホ論」が構築されつつある深刻な状況を憂慮しないわけにはいかない。
この現状を変えることができるのは、素材面からの研究の助けを借りた緻密で説得力のある造形的考察の積み重ねしかあり得ない。しかも個々について論証するのではなく、ファン・ゴッホの作品全体を包括できるような体系だった研究が求められている。
絵画を造形的視点から考察、あるいは研究するといった場合、注目しなければならないのは、タッチや色使い、画風などの表面的要素ではなく、広義のデッサン力である。デッサン力とは、画家の意図したものを画面上に的確に表現する、いわば、総合的造形能力というべきものである。そこで鍵を握るのは、作品に対する画家自身のたゆみない努力や譲れないこだわりの集積であって、漠然とした知識の集積や、受動的、義務的な訓練の積み重ねではない。
また、作品を研究するとき、つねにその中心に据えなければならないのは、画家のデッサン力はじめ、造形に関する諸要素を分析的に見極める考察である。それは論じる側の造形を把握、分析する能力にも関わってくるので、現実的には難しい面もある。しかし、この部分を疎かにして絵画(芸術)や画家を論じることはできないだろうし、当然、本物と紛らわしいものを峻別することなどできるわけがない。とくに巧妙に仕組まれた偽作が多いファン・ゴッホの場合、このことはとくに重要な意味をもっている。
ここに掲載する論文は『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(仮称)の冒頭部分、「遠景の表現」である。『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(同)は、ファン・ゴッホの造形観が形成されるオランダ時代の作品を中心に、「遠景の表現」「人体の骨格的把握」「ムーブマンの表現」「農具を持つ手の構造的把握」「光と空気を媒体にした質感表現」「遠近法と平面性の統一」から構成される。
それらは、ファン・ゴッホのなかに、あらゆる対象に対して、強い合理的な把握の要求があったことを明らかにするものである。それぞれは完結しながら『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(同)の一部を構成している。
『ファン・ゴッホ――「合理的もののあり方」に対する関心』(同)は、最終的にはファン・ゴッホの造形の諸特徴、本質を具体的に例証することになり、ファン・ゴッホとそうでないものとを説得力をもって峻別するわたしの大きな研究の一部として位置づけられるだろう。
















