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小林英樹ブログ

2010年7月アーカイブ

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長野県飯田市の親戚の人が送ってきてくれた写真。

ぼくがブログに猫、風太のことを書いているので、

多分、送ってくれたのだろう。

生まれたての親子。

母親にじゃれて、楽しそうだね。

庭先に住み着いた野良猫。

人間以外の生命に愛着をもって向かい合うと、

命あるものの尊さを感じるようになる。

大学構内に命を全うして上を向いて転がっている甲虫類やセミ。

あまりにあっけない命だけど、

目がとまるよ。

風太をいつも観察しているから、

自然に人間以外の生き物に目が向きがちだ。

平気で肉や魚を食べていることとは別に、

命の尊さは感じてしまう。

確かに、矛盾してはいる。

・・・

一瞬で失って、

ただの物質と化してしまうこともある命だが、

子猫の無邪気な目を見ていると、

頑張って生きてほしいよ。

さかのぼれば、風太とも、くま姐さんとも同じ先祖にたどりつくのだろう。

よく似てる。

ほとんど同じと思えるくらい。

 

■ いただいた写真についていたメールの文面。

 

「野良猫の写真を添付します。
家の庭に住み着いた野良の親子です。
ほほえましい家族愛を感じます。
 
悪い事とは思いながら餌をやっています。
いずれ手術をして面倒を見ようと思っています。」

ウニ

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DSC02697cc.jpgウニ?!

どこにもない!

北海道の友人が新鮮なウニ(海胆)を送ってくれた。

送ってくれた友人も

おそらく

これほど混ぜ物のない

純粋なウニを食べたことはないだろう。

ぼくも、どこかで食べたことがあるような記憶があるが定かではなく、

ウニ丼として店で食べるものは

ウニの他の部分が混ざっていることが多い。

いまではウニは超高級品である。

 

 

しかも、ただ貴重なだけではなく、味が最高である。

この写真は、

いただいたものを妻と二人で無我夢中で食べてしまった後のものである。

「しまった!」写真にとればよかった。

後の祭り。

残像に、ガツガツ食べる男女の姿だけが残る。

利尻産ウニ、

いつか、現地で取れたてのウニを乗せたウニ丼食べよう。

それにしても、北海道は、離れてみると、やはり遠いな。

 

北海道には、思い出をたくさん残してきた。

DSC02690cc.jpg7月28日、

実技の授業は終わり、

学科の試験週間ではあるが、

学内には夏休みの空気が支配する。

からりと晴れ渡り、

陽気はいいが、気温は35度近く、

灼熱の太陽が情け容赦なく照りつける。

彫刻専攻の大学院生であるNさん、

大きな石に挑戦。

粉塵をたて、

裁断の大きな音が辺りに響き渡っている。

地球の断片である大きな石に、

かたちを与えようとしている。

Nさんの姿は、

地球という惑星に深く関わる人間のひとつのあり方を示してくれている。

社会人であるNさんは、

やり残した重要なことがあったことに気づいたのだろうか。

休職して、

わが愛知芸大の構内で寸暇を惜しんで制作に励んでいる。

完成まで、

この暑い夏の間、気の遠くなるような時間の流れがある。

地球を刻むのだから、当然ともいえる。

そして、地球に立ち向かうNさんには他を寄せ付けない存在感がある。

DSC03871cc.jpg空間を規定する最も大きな要素は地形である。

ゆったりとした丘陵の起伏を生かしながら、人工的な直線美が映える。

等高線に沿って作られた道は音楽棟まで続いている。

黄緑の芝の絨毯の向こう正面には、新講義棟、

その奥が管理棟、

左手に少し顔をのぞかせているのが、講義棟である。

新緑の緑に覆われるころ、この大学の姿は一番美しい。

100724_175343cc.jpg音楽学部のオープンキャンパスのあった夕方の学内風景。

携帯で撮った画像である。

水平線ギリギリのところにある太陽から届く黄色い光が斜めに風景を切り取る。

この日も暑かったが、

豊かな緑が作り出す光景は、

暑さをかき消し、

ゆったりとしたくつろぎの空間を生み出している。

年月が経ち、

小さな苗木が大きく育ち、

建築物と植物が、

当初誰もが予想しなかったような美しい空間を形成している。

DSC02605cc.jpgこの写真は、

今日のブログとは直接は関係ないもの。

わが王国で悠然と床の上に寝転び、

何事もなく、のんびりと、

大あくびなどしている図である。

その対比で、今日のブログは書かれている。

名古屋は連日40度近く。

ぼくのマンションの駐車場は、昼間、太陽に照射され、息ができないほど暑い。

今日も、車内の温度計は42度。

猛暑のさなか、ぼくと妻は風太を車に慣らすためにと、周辺のドライブを試みた。

動物病院以外には遠出をしたことがなく、

 

 

このままでは、乗り物酔いのくま姐さんの二の舞を踏んでしまうかもと、考えたのだが。

最終的目標は、名古屋東京間のドライブに耐えられる能力を身につけること。

だが、乗せて、キャリーバッグから出し、運転し始めると、パニック状態。

三列目の最後部座席に逃げて行き、

ニャン、ニャンと鳴き叫び、異常な行動をとり、

ついには、背もたれ上部のヘッドレストと金属のアームの間に頭を突っ込み、

見たこともない格好で、両手両足をばたつかせ、助けを求めている。

無事救出したが、最後部の座席の上で異常な動きを繰り返す。

妻も慌てるし、もう、運転するどころではなく、

動物病院の半分も行かない距離で引き返してきたよ。

風太の哀れで奇異な顔つき。

神社の狛犬か白キツネ、あるいは、オオカミ。

口元が突き出た表情で、恐れおののいている。

真っ赤な口を絶えず開け、長い舌を垂らし、興奮を隠せない。

まさに、クレージーキャッツ状態。

おいおい、それにしても、風太、

随分と内弁慶だったんだね。情けない!!!

と勝手な人間様は言うものの、

考えてみれば、好奇心旺盛な風太も、

いきなり、ほとんど見たこともない娑婆のなかに(車中とはいえ)

放りだされたようなものだから、

よく頑張ったとほめてやらなければならないのかもね。

風太を乗せての東京は、月旅行のように遠く困難なものと化したことだけは確かだ。

いま、風太は、

いつものように食事の支度をする妻にちょっかいを出し、いつものように叱られている。

風太の故郷はリビア、前のブログでそう書いたけど、

訂正しておきます。

故郷であり、宇宙である唯一の住処は、

ここ、ぼくらの家であるところの風太の家なのだ。

もう安全な勝手知ったる人工的空間の中でしか安心して生きられないみたい。

img107cc.jpgブログの写真を替えました。

ぼくは生まれも育ちも埼玉の川越です。

城下町、最近では観光客が訪れ、

ぼくが子どもの頃は何もなかったところに、

創業、天明・・年とか書いた看板を出したお店があったりしますが、

世の中の常なので、さもありなん、と受け流しています。

この写真は、時の鐘、火の見櫓です。

母親の法事で久しぶりに川越に戻って、

ぶらぶら川越見物をしたときに撮ってもらった写真です。

映画監督風なので、ブログ著者としても気に入って、替えました。

(それは外れていないにしても、その主たる原因は、セットのような街並みにあるのです)

時の鐘の下にはK獣医(動物病院)があり、

子供の頃、同業者だった父親と何度か訪れたことがありましたが、

風太を飼っている関係上、忘れていた記憶がよみがえってきました。

ぼくは故郷川越の記憶は山ほどありますが、

ほとんど望郷の念には駆られないのです。

なぜでしょうか?

おそらく、ぼくのどこかに遊牧民族、海洋民族、ジプシーの血が流れているのだろうと思います。

家、墓、そういったことに対する執着がないのです。

いまは、あえて、御先祖が眠る墓を墓参りをやめたり、

放棄したりする気は全然ないですが、

常に、新しい所で生きていきたいという素朴な願望があります。

大阪、神戸、札幌、そして、川越は、

それでも、ぼくにとって大切なところです。

どこどこ産の大根、

大根であるぼくは育んでくれた土壌抜きに語れません。

そして、それら土壌に名古屋が新たに加わることになるでしょう。

すでに、札幌を発つときのぼくはもう遠い過去の自分でしかないのですものね。

 

a_1cc.jpg DSC02592cc.jpg上の写真は、8月初旬に出版予定のぼくの書いた本(読む画集)である。

短期間で仕上げなければならず、かなり消耗した。

画家ゴッホを、通史で書いたことは初めてで、

隙間なく時間を埋めていくことと、同一作者の何十枚にも及ぶ作品解説を書くことの難しさを痛感させられた。

 

さて、風太。

「ふうたん」のブログもおかげで随分お休みしてしまっている。

風太に新しい発見が次々に生まれてこないこともあったが、

ゆっくり向き合う時間もなかったし、

その前に、なかなかその余裕がなかった。

 

東山動物病院から譲り受けてきたときから、早くも、9カ月がたった。

おそらく、そろそろ満1歳になるのだろう。

誕生祝い(8月1日)には、鮭でも御馳走しようかと思うが、

美食家の猫クンにおいしいものをむやみに与えると、

普通のものに興味を示さなくなる危険性もある。

前の、くま姐さんで実証済みである。

 

風太は、随分でかくなった。

もらわれてきた直後の緊張して小さくなっていたふうたんが、

いまではすっかりこの家の主に変貌を遂げ、

わがもの顔でわが家を闊歩、徘徊しているが、

健気にも、朝夕、ぼくを見送ったり、出迎えてくれる。

ぼくの求めていたのはこういう風太を見ることであった。

いまも、食卓の上?!で体を伸ばして横たわっているよ。

もう一枚の写真はそんな風太。

ぼくの椅子で昼寝をするのが大好きで、

ぼくが日中いない間は、よくここで休息しているらしい。

世の中には、猫と時空を共有することが苦手であったり、

体質的に無理の人もいるが、そうでなければ、なかなかいいものだ。

猫の気持ちを推し測ることがいいのかな。

 

風太の遠い先祖が、リビアだかスーダン辺りを走り回っていた姿を想像するのも悪くはない。

同じようなことは前にも書いたが、草原やジャングルを駆け回る風太、それもいい。

自然の中で生きるのが本来の姿だろうけど、

ペットとして生きる道を見出した?猫たちは、

いまだ絶滅種にならずに済んでいる。

人間と猫は、切っても切れない関係にあるのだろう。

あと、1000年後、どうなっているのだろうか。

猫たちはぼくら人間と生死をともにするのだろう。

                                                               DSC02495cc.jpg DSC02462cc.jpg DSC02454cc.jpg     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

樹海。

 

晴れていてもよいが、雨の日は霧や雲にかすんで水墨画のような景色が広がる。

一番上の写真は、はるか名古屋市方面を望む。

緑が目にしみて気持ちいい。

真ん中の写真は、ぼくの研究室の窓から乗り出して名古屋方面を望む。

大学というより工場のような赤い鉄骨の骨格が、

樹海の中にそびえる学舎に強い構造を与えてくれている。

この大学の特徴は、なんといっても、豊富な自然である。

大都市名古屋に30分もあれば出られる距離にあって、

森閑とした環境は、他の大都市周辺では考えられない。

学生たちも、4年、6年、ここで学ぶうちに、

しらず、自然を吸収、内包し、豊かな感性を養って巣立っていく。

下の写真は、ぼくの研究室の眼下に建ち並ぶ彫刻専攻の研究室である。

土、日曜日でも表現者である教員たちは制作に打ち込んでいる。

うす暗くなるころ、研究室には灯りがともり、

別の活気、たくましい息吹が伝わってくる。

この大学で、学んでみませんか。

DSC02451 cc.jpg DSC02452ss.jpg久しぶりですね。

忘れてはいませんから。

原稿の追い込みに気持ちの余裕がなく、

最近は深夜に及ぶサッカー観戦の影響もあったかも。

それは、しかし、ブログを更新しなかった言い訳にはならないよね。

 

 さて、今日は、昨日大学で見たクロアゲハのことから。

日中、30度を軽く超えるキャンパスの石畳の上を、

羽が傷つき、ボロボロになったクロアゲハが、

パタパタ、ひらひら、

また、パタパタ、ひらひらと

 

 

上下しながら飛んでいたよ。

幼いころは、人間に嫌われる毛虫だった存在が、

華麗に変身し、黒い立派な蝶になった。

その蝶が、

それからいままでどこでどうやって生きてきたんだろうね。

もうじきに終わろうとしている自分の運命を知ってか、

知らずにか、

石畳から草の生えている方にゆらゆら飛んでいったよ。

人間の生命の時間の流れに比べたら

ものすごく早い時間が蝶を支配し、

時計の針はぐるぐる超スピードで進んでいき、

短い一生は終えていくんだね。

ぼくは、草むらに消えていく蝶の姿をじっと見ていた。

 

そのときに、ぼくの脳裏に、

昨日の出かけるときの風太の顔が、いや、視線が浮かんだよ。

4階の部屋からは駐車場に向かう人の姿が見える。

なんとなく、振り返ったら、

風太が、窓の隙間からぼくを見つめていた。

車に乗るまでずっと、身動きせずに、じっと見つめていたよ。

どんなに遠くに行っても見つめ合っている視線てわかるんだね。

お互いに、見つめ合っていることを確認できる。

ぼくの視力は0.7か0.8、

でも、風太が熱い目でぼくの方を見ているのがわかった。

 

帰宅時、夕方、見上げると、またそこに風太がいた。

じっと、ぼくを見ている。

 

見つめる目を通して伝わってくる、

一途な気持ちかな。むき出しの。

猫(動物)だから、それは偽らざるものであり、それゆえに、心を打つ。

 

今日は、もしやと思い、

カメラを持って出かけたら、

また、あの窓から、ぼくを見ていた。

いままでも、こうして見送られていることをぼくは知らなかった。

大きな景色のなかの、小さな窓の、窓の一番下から、

小さな顔が、こっちを見てる。

 

カメラで撮ったので、見てください。

上の方が、風太が見えるようにトリミングしたもの、

下は、全体図。

 

今日の帰りも、また、いたんだ。

しかし、ここが猫だね。

ぼくが帰っても、まだ同じように外の景色を見ていたよ。

イヌクンならば、尻尾振りながら、ワンワン吠えて、

お帰り!!と出迎えてくれるんだろうね。

さりげなく、あえて、気持ちを表に出さないで知らん顔。

 

そこに、

ホントはすぐに飲んだり食べたりしたいくせに、

わざと間を置き、

ぼくは、そんなに飢えてはいないよ、などという素振りをしながら、

気づくと、がつがつ牛乳を飲んだりしている、

本心を隠すことに美徳を感じている猫の性向を見たよ。

そこも、また、可愛い。