トップページ > 小林英樹ブログ
小林英樹ブログ

2010年5月アーカイブ

100526_152610cc.jpg

 

 

100526_172035cc.jpg

 

 

久しぶりに見たスゴイ空。

 

われわれは宇宙の中に存在している。

 

上の写真は、大学構内。

こんもりと茂った樹木、芝、雲、

そして、雲の切れ目から差し込む19世紀風の日差し。

これは、イギリスの画家コンスタブルの世界だ。

 

リニモで、動く列車の中から、ぼくは撮ったよ。

濃尾平野の向こうには遠く飛騨の山々が望まれる。

雲の模様が奇跡のようだ。

 

ぼくが生まれ落ちた地平。

それがどんなに素晴らしい所であったのか、

携帯のカメラで撮った小さな画像ではあるが、

それだけでも十分にそのことを伝えてくれているよね。

 

普段すっかり忘れている、時に憂鬱な地上は、

ひとたびこういった奇跡のような空に包まれると、

突如、迫ってきて、ドキドキそわそわしてしまうのだ。

 

漆黒の宇宙も、

この地球上から見ると、

こんな風に見えるんだね。

こんな素晴らしいところに生まれ落ちたことを、よかったと思う。

DSC01329cc.jpgこの写真、これは料理の邪魔ばかりするから閉めだしたら、「開けろ!」「入れろ!」と大騒ぎする風太。

こういう風太は、たしかに、困るが・・・

今日、風太は初めて至近距離で小さな昆虫、甲虫類の長さ数ミリのちっぽけなものを発見。

その虫クン、ぼくの書斎のガラスを這っていた。

 

鋭い目つきで動きを追いながら、用心深く接近し、手を差し出す。

小さな命もここまでかと思いきや、風太、手先の柔らかな肉球で、そっと押したんだ。つぶさずに。

そしたら、虫クン、ポロリと落ちながら、途中でまたガラスにとまったよ。

 

よかった!可哀想だもんね。

もし、上手にやったらやったで、

動物同士の世界、仕方がないか、風太の狩猟の初体験、

という言葉も用意していたんだけど・・・

すると、また追っていき、構え、腕をのばして、

先ほどと同じように、肉球で軽く触ったら、またして、ポロリ。

・・・拍子抜け、なんか、へん。たくましさがない!!!

今度は机の横の隙間に落ちたのでもうぼくには見えない世界。

そのままぼくは部屋を出たよ。

きっと、あの世に行ってしまっただろう、いくら風太だって・・・

想像するのはやめておこうか、可哀想だもんね。

 

さて、用事を済ませ、書斎に戻ると

あの虫クン、また窓ガラスに這い上がっていたよ。

・・・仕留めていなかったんだ。(ホッ!&なんや!)

 

そこへ風太が来て、しばらくぽかんとしていたが、

人間が騒ぎ、虫がいるぞと指さして教えても、すっかり忘れちゃっていたみたい。

お前さん、食べることしか興味がないんかい?

ようやく発見!・・・と思いきや、

そこから先はさっきの繰り返しなので、もう書かなくてもよいだろう。

・・・以上、子供の初狩猟シーンの参観日に駆けつけた親としては、やや期待外れ。

 

あれほどまでに、ときに「獰猛」な風太、

「開けろ!、入れろ!」と暴力も辞さない勢いがあるくせに、

「虫も殺せぬ優しさ」があったとは、意外な発見であった。

ゴキブリや害虫はたくましく征伐してほしいが、

この分では、相手の方では猫であることを知って、最初だけは逃げるかもしれないが、

はなはだ心配になってきた。

 

晩年のくま姐さん、餌をゴキブリと分かち合っていて、

すっかり、ゴキブリとは共存関係だったから、

なめられると、ゴキブリクンたち家族で引っ越ししてくるかもね。

ちなみに、それでも若いころのくま姐さんは、俊敏で、獰猛で、

ハエだろうがなんだろうが、素早く肉球で圧殺した。

今日の風太を見ていて、何が何だか分からない感じになってきたが、

教訓は、

人間には、あの人はこういう人であると簡単に決めつけたがる傾向があるが、

それは間違いであるとなるのかも。

コーヒーブレイク、終わり

DSC01371cc.jpgふうたんはいつしか風太と呼ばれるようになって、

さらに、最近では立派な男児(青年)になった。

地上の景色をこうして隠居者のように見やる風太は、

地上を知っている人間としてはいささか気の毒ではある。

先日、NHKで、鹿児島県の甑島でたくましく育つ子供たちの姿を追ったドキュメントを見たが、

自然の中を自由に歩き回る二匹の猫が映っていた。

風太もこういう環境で生まれたらきっと幸せだっただろうにと、

人間の居住空間に閉じ込められ、

 

荒々しくもやさしい自然の魅力を知らずに育つ風太に、

申し訳ないような可哀想な気もした。

風太は好奇心も強く、運動神経もよく、

野原やあちこちを飽きるまで探検して、

疲れたら、ただいま!と帰ってくるんだろうな、ぼくはそう思って見ていたよ。

でも、名古屋の街中じゃあ、無理。

猫クンは諦めることもわきまえているだけに、そこがまたいじらしい・・・

 

想像力たくましく、親ばか加減を書いちゃったね。

それにしても、風太、

猫とは思えない体格好をしている。

体脂肪も少なく、引き締まった体型。

運動量も多いから、かなり食べているが、いまのところは太らない。

窓外の景色、

マンションの裏山が迫っているので、

まるで自分の家の庭に見えるが、共有部分である。

 

@@@そうそう、このごろはトイレも上手になった。

猫トイレは、飼い始めの段階で猫砂式かペットシーツ式か決めなければならない。

くま姐さんは、猫砂式だった。

どうしても猫砂式はにおいが残るという欠点がある。

そのために、初体験ではあったが、風太にはペットシーツを試してみた。

敷く位置、洗濯バサミの数や、固定する位置の問題など試行錯誤。

風太の方も、ときどき失敗して、おしっこで濡れた足で床を歩いちゃったりもした。

最近は、人間も猫も要領がわかってきて、上手にできるようになったよ。

まず、

ペットシーツを大小二枚敷く。

ポイントは上に敷く小さい方をちょうどお尻のあたりに紙の中心をもってきて、

洗濯バサミをその辺りで一か所だけ留めること。

そうすると、し終えたら、猫クンは両側から簡単に折りたたみ、

四肢を汚さず、そこから立ち去れるよ。

大も小も問題なし。

DSC03642cc.jpg先ほどの写真の遥か彼方、

消失点と重なる位置から逆方向に眺めた図。

 

建築物も彫刻も、焼き物も生花も、そして、書や絵画もみな同じだが、

かたちはその外側の空間や余白に別のかたちを与える。

 

それはさらに、音楽や文学、詩歌にもあてはまるだろう。

 

だから、すぐれた作品は両者のバランスのよさがある。

構内の山本豊市の《愛》やロダンの《バルザック》などの彫刻も、

 

周囲の空間を形作りながら緊張感あふれる空気を作り出している。

 

そう考えたとき、この構図(空間)のどこにも安易にものは置けないだろう。

置くときにはそれなりの覚悟がいる。

それは、この空間の表出にこそ建築設計者の意図が潜んでいるからだ。

 

2008年5月撮影

DSC02815c700x468_edit.jpg法隆寺金堂壁画模写資料館から講義棟を望む。

まさに、一点透視図そのもの。

互いに平行で水平な関係にある2直線は水平線上の一点で交わる。

透視図法の約束である。

平行線が交わる点、消失点は、講義棟の向こうの池のほとりの茂みのなかにある。

建築設計者のねらいは、

長い回廊のような講義棟下の空間に意志的、理性的かたちを与えることにあった。

ゴッホもしばしば地平線に消える一本の道を描いたが、

目的に向かってひたすら歩み続けようとする者が好む構図である。

愛知芸大では至る所で一点透視図が見られる。

それは言うまでもなく建築物群がきちんと東西、南北同一方向を向いて建っているからに他ならないが、

大きな理想、目的に向かった突き進む者たちの意志の象徴でもある。

 

さて、この資料館には、労作、飛鳥時代の壁画の原寸大模写があり、

完成度はかなりのもので、ジョギングがてら壁画を見学に来られる方々が多い。

本物は火災で消滅しているだけに、その価値は大きい。

 

2008年5月撮影

DSC03468c.jpgようやく地上にタンポポの季節がやってきた。

 

自然の緩やかな丘陵を生かして設計された建築群は

40数年経って立派に成長した周囲の木々や彫刻などと

うまく響き合いながら

優雅で高貴な空間を作り出している。

 

タンポポの咲き乱れる丘は緩やかな斜面となり、

等高線にそって曲線を描く道に出会う。

 

その道はそのまま遠方に見える奏楽堂の向こうをカーブを

 

描いて回って行き、

音楽学部の駐車場に通じる。

 

40数年前の建築物だけに、

駐車場の狭さ、奏楽堂の防音など問題点は多々あるようだが、

この景観のよさは他に代えがたいものがある。

 

春、命の芽吹く季節、いいな。

 

2008年5月撮影

100503_145215.jpgアジア的エキサイティングな街、大須。

 

ぼくが初めて大須を訪れたのは、いまから6年前。

 

某大学の大学院の集中講座に呼ばれて5日間滞在したときだった。

 

「矢場とん」で「わらじ」(特大)を食べ、

そののち、夜のあの界隈を散策したときのことだった。

 

 

シャッターが降り、街は寂れた感じで、

当時、全国どこにでも見られた、

かつての繁華街がさびれゆく現象をここでも目の当たりにした。

 

街も古いし、再起は無理なのかも?

という旅行者の軽い感傷を覚えたままそのときは名古屋を去った。

 

まさか、そののち、その名古屋に勤務が決まるとは夢にも思わず・・・。

 

名古屋に勤務してから2、3度は大須を訪れた。

 

徐々に若者の姿が増え、活気を帯びていく変化が感じられた。

 

閉じていたシャッターが減り、

雑多な店を若者たちが切り盛りしている光景が目に付くようになってきた。

 

このゴールデンウィーク、

遠出は止め、近場でどこかいいところを、そこで浮かんだのが大須。

 

札幌住まいの長かったぼくは、大の「マジックスパイス」(スープカレー)ファンなのだが、

その「マジックスパイス」が大須に開店したことも今回足を運ぶ大きな要因になった。

 

食後、歩き回ること2時間(ゆっくり見たらまる2~3日は必要だろう)、

ソウルのミョンドンと南大門市場を足したような雑然としたアジア的活気。

 

大須観音駅から目的地に向かう人々は、いい意味で地方的で洗練されてなく、

(もちろん、東京では絶対に見られない)その流れからは、たくましさ、力強さが伝わってくる。

 

久しく忘れていた興奮、都会が、人々のうごめきが作り出す異様な空気。

 

祭りでもないのに、人々にテンションの高さがある。

 

コメ兵、第二アメ横ビルなどの大型店をはじめ、大小無数の衣料品店、雑貨、飲食店等々が軒を並べる。

 

しかも、大須界隈は東西南北に広がり、大須の中に縦横それぞれ三本ずつのメインストリートがあって、そこを限りなく無数の人々が徘徊している。

 

格安航空券で、わざわざアジア的雑踏を求めてソウルまで行かずに済みそうだ。

 

ブラジル料理やメキシコ料理の店があり、

開放的な雰囲気の中で、うまそうにブラジル風チキンの丸焼きを食べていた。

 

いいな、大須は。

ぼくは、名古屋がますます好きになってきた。

 

とりあえず、まずはここまで。

 

この写真(携帯)は、歩き疲れて休息したイタリアンカフェ。

まるで、前にブログで紹介したことがある、

アムステルダムの行きつけの店、「カフェ・デ・バリエ」に重なるものがあり、ここも気にいった。

雑然とした店内に、違和感なく収まる客層、

一体、本当にここは日本なのかと、今日は改めて名古屋の人々のたくましさを感じた。

 

DSC02786c.jpg管理棟からキャンパスを眺めたところ。

 

このアングルから見た構図は、おそらく愛知芸大を紹介するに最高のカットだろう。

 

堂々たる風貌は悠久の時間を漂わせている。

 

いままでこの優雅で格調高いキャンパスから多くのアーティスト志望の学生が巣立っていった。

 

ここは、ぼくらが知らない何千人もの人たちが学生時代を過ごした歴史あるキャンパスだ。

 

2008年5月撮影

DSC02809c.jpg階段を下りると、別の地上がある。

 

暗がりの向こうから光が進入し、そこに独特の空間を生み出している。

 

左手には画材屋さん、そしてその左隣には小さな食堂、右手にはボイラー室がある。

 

(写真は2008年4月撮影)

DSC02808c.jpg地上一階、講義棟の建つ地面の高さから、下に降りていくと、そこには別の地上がある。

 

ちょっと不思議でちょっと楽しい発見ができる。

 

下りる途中見上げると、天井にはぽっかり空いた天井窓が望まれ、

そこから柔らかい光が差し込んでいて、円筒形の空間には光の粒子が充満している。

 

                                                               DSC02807c.jpg愛知芸大には素晴らしい建造物や樹木やそれらが作り出す美しい空間がある。

 

自然の起伏を生かしたキャンパスには新たな発見の喜びがある。

 

四季折々、時間帯や天候によってキャンパスは様々な顔を見せてくれる。

 

ここに連載する「螺旋状階段」は、地形の高低差を生かした巧みな設計になっている。

 

入り口は、トーチカのような風貌だが、中に入った途端、柔らかな反射光が異次元的空間に迷い込んだような心地よい気分にしてくれる。