2010年1月アーカイブ
今日の昼、人間が油断しているすきに、
ふうたんは買物袋の中にあった黒毛和牛肉105グラムの半分を平らげてしまった。
食べている最中に発見したからいいようなもので、
もし、気づかなかったら、
全部食べられていたかもしれない!
美食家で偏食屋のくま姐さんの轍(てつ)を踏まぬようにと、
ドライフードで慣らそうとしているにもかかわらず、
ふうたんの食べ物に対する異常な好奇心と旺盛な食欲の前に、
ずるずると後退していく日々の中にあって、
今回の晴天の霹靂(へきれき)は、
ぼくらの想像の及ぶ範囲を超えた「偉業」であった。
そのあと、悪いことをしたと自覚したらしく、
追いかけもしないのに、
家中を逃げ回っていたが、
生肉のエキスが身体に浸透しだしたのか、
意味なく普段上らない柱を上ったり、異常な行動に走りだした。
人間でいえば、初めてすっぽんを食べたようなものだったのかも。
胃に入ってしまったものは仕方がないとしても、
今後、対策を講じないと、
くま姐さんを越えるのも時間の問題だ。
しかし、当面、深刻なのは、
今晩の肉じゃがの肉が半分なことである。

これは2005年の写真である。いまはテレビ塔もライトアップされて随分変わっている。札幌駅からすすきのに向かう途中、大通りを横切る。大通りの東の終点にはテレビ塔がある。雪が降る年末の大通り公園。広い空間にはイルミネーションがあり、イルミネーションは雪にかすんでいて、雪はそのまま大空に吸い込まれていく。イルミネーションの近くで記念写真を撮る人、積もる雪を固めて投げる人。いつもそこにある景色の中で、これといって特別のことをするわけではなく、すべてがこともなげに過ぎていく。ぼくは、ただそういう光景を見るだけで満足しているが、人が一番欲しているものは、案外、そんな何気ない時間の流れではないのだろうか。札幌の街のまん真ん中の空間にあるそういう時間の流れ。そこからパルコを過ぎ、狸小路を横切り、すすきのの交差点を横切り、地下街に降りる階段の途中に常連でごった返すカウンターだけの焼鳥屋があり、そこでジョッキで2、3杯飲み、真駒内行きの地下鉄で・・・。そして、豊平区中の島1条1丁目の自宅マンションの扉を、「ただいま」と言って開ける。
春になると北海高校のサッカー部員が練習を開始する。
5~6年前、北海道開発局から依頼されて「北海道の街並みに合う色」を考えていたころ出会った、真冬の北海道の色のひとつ。
たしか、入試の採点が終わった2月10日前後の晩。
広大な闇夜に横たわり、月や星、あるいは家々の灯りを反射して、雪は輝いている。
冬の寒さや雪は厳しいが、19年間そこに生きてきたぼくは、北海道のよさは冬にあると、離れたいま、改めて感じている。
白は無彩色だが、すべての色彩を反射する雪の白には力強さと、清潔な夢がある。
雪に閉ざされる季節、無意識に、人は、色彩あふれる季節を思い浮かべたり、自分の内なる色彩の世界に没入したりしている。
気温が氷点下10度くらいになると、歩く時、雪はキュッキュと音を立てる。
それは掛替えのない北国のプレゼント。

ぼくは若いころから北海道に魅せられて幾度となく海峡を渡った。大学受験に失敗したぼくは、夏まで6ヶ月間網走の水産加工場で働いたことがある。1日中陽の当らない部屋の、湿っぽい布団の中で、早朝の街を馬車が鈴を鳴らして闊歩する音に耳を傾けていた。しかし、海から上がる魚介類は豊富であったし、どこに行っても勢いがあり、北海道には未知数の魅力があった。だから、多少の不便や苦痛に耐えることもできた。
それから35年後、北海学園大学で入試委員をやっていたとき、担当の釧路地区のすべての高校を回った。街の中心街はシャッターが降り、夜の繁華街に人の姿はまばらであった。全盛期は道路に落ちた魚の脂で滑って運転できないくらいであったのにと、タクシーの運転手はこぼす。漁獲高日本一、あの年、ヒッチハイクで網走からの帰り道立ち寄ったときも、街は人でにぎわっていた。
この写真は数年前の旭川の中心街、買物公園のクリスマスの光景である。夜の7時前後、まだ街を行き交う人々の姿がないわけではないのに、ぼくがカメラを構えていた5分くらいの間に、ほとんど人に出会うことはなかった。札幌までの帰路、その理由がわかった。苫小牧、室蘭、さらに、岩見沢など似たような状況にあえいでいる。広い駐車場つき、豊富な品ぞろえ、流行の商品がすぐに手に入る郊外の大型店。なんといっても、そこには冷暖房が完備した便利で居心地のよい空間がある。
しかし、これは北海道のみならず、大なり小なり地方の市や町が抱えている問題である。手をこまねいて衰退に甘んじるのか、それとも、再び、新たな活気を生み出せるのか。歴史を刻んだ街並みには、画一的な大型店には出せないよさもある。それぞれの地方の特色を生かした新しい街づくりがあるはずだ。困難は創造の糧である。ぼくは北海道が大好きだから・・・。

ついにここまで来たか。
ここは我が家の最高峰。
どうやって上ったのか、
過程を見ていないから詳しくはわからないが、
気づいたら、そこに猫がいた!という感じ。
しかし、かなり、難しいコースであることは確か。
ふうたんは、その直前に冷蔵庫と台所の換気扇の上にも登頂している。
換気扇の上に立つふうたんの雄姿は写真に収めてあるので
機会があったらお見せできるかもしれないが、
高さということでいえば、
実はそんなことは驚くに足らない「事件」がかつてあったのだ。
パイプシャフト兼物置のスペースの最上部には、
通気口のような小さな抜け穴があり、
その抜け穴は広大な天井裏に通じている。
しかし、天井裏は狭く、
そこに人が入ることはできない。
しかも、マンション4階天井裏の構造は奥行が果てしなくある以外は
まったくわからない。
そんな未知の危険な空間に、
もらわれて間もないころのふうたんは入り込んでしまい、
天井の向こう側でふうたんの動く音がしていたのだ。
真っ暗な闇を右往左往している不安そうなもの音。
驚いたよ。
どんどん奥に行ってしまったら、どこかに挟まってしまい、
戻ってこられないかもしれないからね。
抜け穴から、猫じゃらしのおもちゃを入れ、
カタカタ音を立てておびき寄せて無事救出したけど、
貴公子のようなふうたんは、全身、灰色、
煙突掃除夫となって帰還してくれた。
ぼくは、風呂場で石鹸で抵抗するふうたんの汚れを洗い流した。
その時、無理やり湯で洗ったことがきっかけで、
ふうたんが風呂好きになったのかどうかはわからないけど、
とにかく、もとの新雪のように真っ白なふうたんがよみがえった。
そこには扉があるが、いまでは、間違って扉が開きっぱなしにならないように、
簡単なカギをつけた。
向上心や探究心は、人間の進歩や創造には欠かせないものであるが、
ふうたんの「事件」でも明らかなように、
それ相応の危険は伴うし、どんな落とし穴が待っているかわからない。
ちと、長くなってしまったかな。
カーテンによじ登るふうたん、
別にこのくらいなことは猫であれば驚くことではない。
たしかに。
だが、そうであっても、
イルカショーが、やることはわかっていても何度見ても飽きないように、
新調したカーテンに爪を立て、瞬時にすさまじい勢いでよじ登る姿は
いつ見ても飽きない。
人間、開き直り、あきらめると根性がすわるもんだ。
カーテンは、インテリアではなくなり、
単にふうたんの向上心と挑戦者意識の道具と化す。
でも、見方によっては、それはそれなりによい。
猫の動きは俊敏であるが、
だが、その動きはほとんど目的のないことのために発揮されている。
寝室から廊下を走り抜け、畳の部屋に突進し、
右に折れて、畳の上を滑る音、どこかにぶつかる音を立てながら消えていく。
すると、しばらくして、また、
急用もなく、追われているわけでもないのに、
脱兎のごとく疾走してくるのだ。
その一途さは、人の目を引くだけではなく、
人の心をとらえるものである。
Where is Who?
いつも、ふうたんがどこにいるか頭の中で確かめながら、
猫クンと同居する人間は生きている。
だから、心の中に、いつでも猫クンは住み着いてくれるのだね。
でも必死でもある。
いくら人間社会に溶け込もうとしても、壁はある。
それでもふうたんは、ぼくが出かけた後、
家事をする妻のお手伝いをして家族の一員になろうとする。
もちろん、お手伝いされた方は、
されないときの倍の労力と時間を要する。
でも、そういう生活が繰り返され、長くなるにつれ、
いつもそばでちょっかいを出す猫クンがいない
時間が想像できなくなるから不思議だ。
きっと、ふうたんも我が家の空気と時間の流れが
だんだん体に染みついているんだろうね。
いまでも、ときどき、玄関のチャイムがなると、
好奇心の強いいつものふうたんは、
用心深げにさっと身を隠す行動に出るんだよ。
前だったら、洗濯機の下にもぐりこんだ。
ぼくの想像では、誰かに連れ去られたくないという思いが、
とっさにそういった行動になるんだと思っている。
いろんなつらく悲しい思いがよみがえるんだろうね。
前のくま姐さんは、ぼくの扉の音がすると、
のっそりとやってきて、「おかえり」と言ってくれた。
でも、ふうたんの心理を推し量れば、
やんちゃで、最近はヤンキーみたいに見えることさえあるけど、
愛らしく、いじらしく感じるよ。
家のベランダにはときどき雀がやってくる。
ベランダには出してもらえないふうたんはこうしてぼくの部屋の窓の通気口から
外をじっとうかがうことがある。
庄屋か代官が訴えに来た農民を見下ろしているときの「怖い人間の姿」を連想してしまう。
ふうたんには、敵や獲物を睥睨(へいげい)し、
襲いかかろうとする動きを予感させるときがある。
肉食動物の、あるいは、野生の動物の習性は健在だ。
でも、裏切らないな、猫クンは。
ケルン大聖堂。偉大な建築物を見るだけでもわざわざそこに行く価値はある。ぼくはいままでに大聖堂を見にケルンに3回も行った。外観も内側も、その威容は理屈を超えて、ちっぽけな自分が何かに吸い込まれていくような透明感に浸れる。ポーラ文化研究所から執筆の取材費用の一部を出してもらったので、思い切って贅沢をし、大聖堂の真横に位置する、ホテル・ドームに宿泊した。せっかくだから、部屋は「教会側の最も教会に近い部屋」を注文した。クリスマスイブの日に当たり、ライトアップされた教会の鐘が一晩中鳴り響いていた。「ガラン・ゴロン、ガラン・ゴロン」、音量も大きく、重厚な音色を発するので、その鐘がとても大きいものであることがわかった。深夜零時近くなると、どこからともなく黒い人影が現われ、何かに群がる生き物のように教会周辺に集まってきて、異様な光景を生み出した。中世から脈々と続く遠い異郷の異文化、人々の営みがよみがえり、自分が旅人であることを感じた。
まだこのころは、コンタックスの一眼レフ、50mmを持ち歩き、被写体に関係なく標準レンズで撮っていた。これはポジフィルムを紙焼きし、それをスキャナーで取り込んだ画像ではあるが、やはり、スライドフィルムを投影してみたもの(幻灯)には及ばない。
妻の入浴中にまた淵から滑って落ちたらしく、
「きて!」との声で行ってみたら、
ずぶ濡れ。
もう、彼女も、当の本人も日常茶飯事のような落ち着きようで、
風呂上がりの子供をバスタオルで拭くかの如く、
多少嫌がるそぶりはするものの、
さっさと拭いてあげると、
自分の方は、手足をなめている。
なめると乾きが早いらしいんだけど、
猫特有の冷静さを装うふりをしている部分もある。
この分じゃ、近い将来泳ぐだろうし、風呂好き、温泉好きになる可能性さえある。
なにしろ、ふうたんもほかの猫と同じように、
懲りたことは二度としないか、警戒心が強くなるからね。
たとえば、マタタビのエキスがしみ込んでいる両側に木の玉がついているおもちゃ。
玉と玉はゴム紐でつながっている。
もらってすぐ、夢中で遊んでいるときに、
相手をしていたぼくが、伸びきった状態のとき、誤って片方の玉を放してしまった!!!
当然のごとく、玉をくわえていたふうたんの顔面を直撃、
結構激しい音を立ててぶつかってしまった。
悲鳴を上げてどこかに消え去ってしまったよ。
それ以来、そのおもちゃを見るたびに、怖がって逃げていく。
そのふうたんが、くま姐さんなら絶対に近寄らないバスタブに平気で乗り、
落ちる確率50%の狭い淵を歩こうとし、
いままでに数回落ちてずぶ濡れになったのに、
まったく警戒しようとしないだけではなく、
今日のように、風呂上がりの余裕さえ見せている。
嫌いではないことは明らか。
猫だから水や湯は嫌い、と決めつける人間の方がおかしいのかも、考え方を変えていかないとね。
この写真は、
「ぼくも将来は芸術家になるんだ」と言わんばかりに、激しくパフォーマンスをしてくれた。
なかなか迫力ある制作光景で忘れかけていたものを思い出させてくれたよ(汗)、ふうたん。
水の流れに異常なる興味を示すから、
どこかの大学の工学部にでも入れようかと勝手に決めていたんだけど、
この分じゃ、将来は現代美術をやるかもしれないよね。
どうせなら、おやじを越えて偉大な芸術家になってくれ!
「この写真は、ぼくがこの家にもらわれてきたときのものです。
そのころは、定住という経験も概念もわからず、
ここも、いつまでも繰り返される一時的預かり所だと思っていました。
振り返れば、長いようで短い。
まだ2カ月ちょっと経っただけで、
3キロと、随分ぼくは大きくなりました。
ぼくの食事はカリカリ(ドライフード)です。
栄養、カロリーなどのバランスがよいことは確かですが、
生涯これだけで通すのは、
本来美食家でもある猫としてはあまりに可哀想ですよね。
もらわれたときには、
『くま(くま姐さんのこと)もこれで失敗した。
絶対にあげない、これだけで通す。』
・・・
生涯の寂しい食生活を想像し、
ため息をついていましたが、
いつからか、ヨーグルト、牛乳、
それに、最近は砂糖の入った
シュークリームのカスタードクリームまでくれるようになりました。
残り物を、
食卓ではなく、ぼくがいつもご飯を食べる場所にやってきて、
ほんのわずかですが、指先や手のひらに乗せてくれるのです。
ぼくとしてはそういうやり方でも、
カリカリ以外の味覚に接することができれば大喜びだし、
さらにメニューが増えることを密かに期待しています。
はたして、この思いが、あのおっさんとおばはんに通じるだろうか。
しかし、おっさん、おばはん、
そう呼ぶのがふさわしくないような感じ、
最近は、運命でつながっている存在のような気がしてきている・・・。
よくわからないけど、それでもいいか。
ぼくは随分二人に身をゆだねるようになったし、
そうすると、向こうも満足気にじっとぼくの寝顔に見入っていたり、
顔をすりよせてきたりして、
『随分変わってきたな、やはり、ふうたんは賢い』などと悦にいった声を発しています。
人間も、かわいいもんだ。
いや、マジに、この人たちとずっと生きていくんだなと思っています。
まんざら悪くもないし。
ま、人間社会に生きていくわけだから、お父さんとお母さんのようなもんです。」
ここは愛知県立芸術大学(愛知芸大or県芸)の運動場である。周囲はジャングルのように奥深い山、まるでボルネオか沖縄の離島のようで、この大学に着任し、探し当てたとき、ぼくは嬉しかった。サッカーゴールの向こうにはテニスコートがあり、そこまでがキャンパスだが、その向こうに愛知芸大版「ツィンピークス」、深く神秘的な池がある。とにかくこの大学はでかい。

道央自動車道、中古のランドクルーザーを飛ばし(といっても直線で120キロ出すのが精いっぱい、音はうるさいが軽自動車にもすいすい抜かれてしまう)旭川までラーメンを食べる目的で何回か行った。全国、おいしいラーメンはたくさんあるけど、ぼくは、やはり、蜂屋ラーメンが大好きである。旭川に蜂屋ラーメンは何軒かあるが、旧北海ホテルがあった場所の近く、買物公園の北西にある店が気に入っていた。厨房にはその道一筋のSさんという職人気質あふれる中年の男性がいて、店を切り盛りしているように見えた。
蜂屋の味付けの特徴は魚が軽く焦げた香りとかすかな魚味が表立った味付けの奥の方にある感じにあるが、それ以外、とくに目立った特徴はない。あえていえば、翌日、あるいは、何日か後にすぐにまた食べたくなってしまうのが特徴である。店内は適度に古く適度に雑然としているごく普通の大衆食堂で、ごく普通のどんぶりに入ったラーメンが「おまちどうさま」と出てくるだけ。汁が白濁しているから、はじめての人は味噌ラーメンと間違えてしまうが、醤油ラーメンである。雪が降った夜、札幌から1時間半かけてわざわざ蜂屋にラーメン一杯だけ食べに行くという贅沢をしたことがあるが、このくらいは生涯に何回か、許されるだろう。

2002年12月末、ポーラ文化研究所との出版の約束を果たすために、当て所なくヨーロッパのいくつかの街を訪れた。ケルン駅を降り、ぼんやりとしていたぼくの眼前に巨大な石の建造物、ケルン大聖堂が出現した。毅然と凛々しく、地味だがその分禁欲的であり、「神」の世界の象徴に感じられた。凝縮された時間の塊、もろもろの記憶の刻印、あるいは時代の目撃者のような黒々とした物言わぬ姿、ぼくは圧倒されてしまった。
2004年、2回目の訪問はちょうどクリスマスのミサが行われている最中であったが、誰でも自由に礼拝できるようになっていた。教会の片隅で、司祭のお話を耳にしながら、しばし教会の空気を味わった。飛び込みの一旅行者にすぎないぼくでさえも厳粛な気持ちになった。ケルン大聖堂のエッセイは、色彩との出会いを中心にしたエッセイ集、『色彩浴』の冒頭に載せた。
威容を収めるために何回かシャッターを切った。高さ157mの巨大な教会は、常時補修工事を行っている。すべてが生成と消滅のプロセスであると考えるなら、即効性のある経済的効果をねらったものでない限り、時間の長短を競うことはあまり意味をもたないのかもしれない。補修用のやぐらはぼくの記憶では2002年のときも、2004年のときもわずかに移動しただけで同じような位置にあったように思うが、中では一体誰がどういったペースで、どんな作業をしているのだろうか。
アムステルダムに着くと、ホテルに荷物を置いてまずカフェ・デ・バリエ(Cafe de Balie)に行く。街の中心地、レンブラントの《夜景》がある国立アムステルダム美術館やゴッホ美術館にも近い。オランダのごく大衆的な居酒屋、基本的にセルフサービスの店内は雑然としていて外からやってきた者をすぐに受け入れてくれるので、居心地は最高。ビールをコップに2、3杯飲んですっかり暗くなった街に出ると、もうずっと前からこの街にいるような気分にさせてくれる。
ぼくは、夜には夜の空間を味わう楽しみがあってよいと思っている。いつ頃からか忘れたが、夜過ごすプライベートな空間では暗い白熱灯による明かりに安堵感を覚えるようになった。たしかに、省エネ、地球温暖化問題などの視点から諸外国も含めて白熱灯を禁止する動きが出ている。しかし、公共的空間では全く気にならないのだが、ゆっくりくつろごうとすると、どうしてもあの皮膚の内側まで射抜かれるような蛍光灯ではだめだ。白熱灯を模した蛍光灯もあるが瞬時にそれとわかるし、生理的な拒絶感がある。ワット数を下げ、使わない部屋や不必要な電灯は消すなど、白熱灯を残しながらの省エネだってあるだろうと思うが、消費電力のことを考えると、発光ダイオードにも活路を見出してほしい。
さて、カフェ・デ・バリエは適度に雑然感があり、照明の白熱灯も適度に暗く、まさにゆったりお酒が飲める雰囲気がある。スキポール空港を出ると、そのままアムステルダム行きの列車が止まる駅が地下にある。ホームに向かう空間を歩いていると、大体いつも夕暮か夜なのだが、そこには現地の時間の流れと匂いがあり、外国に降り立ったときに特有のあのほんわかとしたワクワク感に包まれる。カフェ・デ・バリエ、この前、店内が改装中だったから、街の中心にあるだけに果たしてどうなったか、心配ではある。
ゴッホはアルルで黄色い太陽の光を発見した。乾いた空気を通過して地上に届く陽光は黄色味が強い。とくに、夕方は日中の照射によって乾燥が著しいうえに、光はその乾いた分厚い大気の層を斜めに通り抜けてくるので、一層黄色い。1997年9月、旅行者が薄暗いカフェで、ジョッキを傾けていると西日が路地に進入してきて、照り返しがカフェの天井をいつまでも黄色く染めていた。
向日葵は夏の花だ。黄色い陽光が満ち溢れる空を背景に、真中に大きな褐色の種子を抱く花は、どこからともなく吹く風にかすかに揺れながら、見上げる人間の上にそびえている。内に染みついた黄色、網膜上の、あるいは大脳の感光板に、あるいは、魂に。それに呼応するかのように黄色い大空を背景に向日葵の花も種子も屹立している。軽い眩暈(めまい)、大地に立ちながら、知らず、向日葵とともに揺れているゴッホ。
ロンドン・ナショナルギャラリーには数多くの名作があるが、中でも《一四輪のひまわり》は、ファン・アイクの《アルノルフィニ夫妻の肖像》と双璧をなす。
ぼくは誘われるままにゴッホを探しに、ゴッホを求めて、いままでに何度もオランダを訪れた。夏も、冬も、秋も、春も。19世紀終わりころの景色と21世紀になったいまの景色が同じに見えるはずはない。そんなことは百も承知の上でだが、それでもそこに行き、そこの空気を吸わないとわからないことがある。それ以上の目的もなく、ただ、小さな町の裏道や田舎のぬかるみ道を断続的に降るシャワーに晒されてさまよったこともあった。それは単なる自己満足であったかもしれない。だが、固有の体験によって、ゴッホに対する親近感が深まったことは確かである。
オランダで偶然知り合いになったぼくと同年代の夫婦二組がオランダ北西部のアルクマールに住んでいて、夏、クレーラー・ミューラー美術館に短期の滞在をしていたぼくを呼んでくれた。その帰路。出発待ちをしている列車の窓外に広がる空は途方もなく遠く広かったが、いつしか、その空に見入るゴッホの視線を自分に感じた。それは単なる錯覚でしかないが、暗く澄み渡った、まさにこんな空を、ゴッホもじっと見つめていたに違いない。鉄道に隣接する建物には赤と青のネオンが灯り、いまが21世紀、ゴッホがオランダの野原を描いていたときからすでに125年以上もの年月が経っていることを示していた。 そう、それに、ぼくは2階建ての居心地のよい列車の中から外を眺めている!
ぼくは20年間住んだ北海道が好きだ。たくさんの思い出があるから。まだ、北海道に住むあの頃の友人の何人かがぼくのHPをのぞいてくれているのが伝わってくるから、どうしても意識がそこに戻りがちだ。しかし、ぼくは昔から「住めば都」という遊牧民族的感性があったため、行く先々のよさを見出す能力に長けている。命が危ないのはいやだが、スイスや北欧の国々でなくても、基本的にどこでも順応したい。
この写真も夏の終わりの幌平橋付近である。北海道は偏西風、ジェット気流、北の冷たい気団と太平洋の暖かい気団が複雑に入り組み、夏の熱せられた空気は上昇気流となって上っていく。そんな北海道には北海道固有の空模様ができるときがある。たまたまもっていた400万画素のデジカメを取り出し、急いで何枚か写した。北東の方角、モエレ沼のずっと遠くに水色の抜けた空があり、何種類かの雲が気流や気団の出会いがあったことを教えてくれている。
キーボードはふうたんにとって居心地がいい場所の一つ。
仕事をしていれば用事もないのに机に飛び乗ってきて
天下の公道のごとくぐわぐわ横切るふうたんについては前回書いたけど、
くま姐さんのときもそうだったように、
パソコンというものは温かいものであるとすぐ気づかれてしまう。
離れるときにはスケッチブックを置くことにしているが、
短いからいいだろうとか、ついうっかり忘れてそのままにしてしまうこともある。
戻るとちゃっかりそこで丸くなっている。
色々なところを押してくれるので、
すぐに戻せないこともある。
「カチカチカチ、チン!」・・・「カチカチカチ、チン!」
と間をおいて小さな音が鳴りやまなかっとこともあるし、
「キーボードをたたくと」と出そうと思ったら、
「25-b6-d6w6たた24t6」と表示されてしまったりもした。
これは、しかし、いたしかたないことだ。
ふうたんにとってパソコンは温かいもの以上のものではないんだからね。
ふうたんはおりこうで人間と対話ができる猫である。
でも、ときどき、抑えられず、野生、本性のようなものが噴出してしまうことがある。
突如、興奮し殺気立って暴れる、あるいは、甘噛みが、みるみる局面がずれだし、
気づいたら、腕をからめて本気で噛みだしている。
噛んではいけない!噛んだら人は痛がるということの理解は大分できているはずなのだが・・・
しかし、我を忘れて、ついつい歯止めが効かなくなるときがある。
人間と同じだ。
正月、人間からあまり遊んでもらえず、欲求不満がたまったふうたんは、
こたつの中の足を誰彼かまわず噛み始め、
いよいよ収拾がつかなくなったので、
家の主であるぼくは、別室に連れて行き時間をかけ、説教した。
人間の言葉がわかるわけではないが、ぼくは、繰り返し同じことを話したよ。
ふうたんは、最初は目をそらし、何食わぬ顔で、
あっちをうろうろ、こっちをうろうろ、すきをうかがって部屋から逃げようとするのだが、
いつものおっさんとは違うぞ!ということが伝わり、
最後は、離れたところで畳に丸くなり、ぼくの目をじっと見ていたよ。
わかってくれたのかくれないのか、ぼくには通じたという実感があった。
お互い、顔の表情で説教が終わるとわかると、
いつもの無邪気なふうたんに戻ってさっと横から逃げようとしたが、
ぼくはつかまえて抱いてあげたよ。
そしたら、意外に、暴れず、腕の中で、ふうたんは小声でにゃんにゃんとないていたよ。
その分、ふうたんはおりこうになってくれたのかな。

ひとはいつもあたらしい人の中で楽しくやっていくんだね昔のことは話さずなるべく思い出さずいつもあたらしい人とうまくやっていくんだね昔のことは思い出さずいま目の前にいる人としっかり向かい合っていくんだねちいさなアパートのすぐ横には澄んだ川が流れていたよねいつもねいまもだよ水草が揺れる清流の表面は朝日に輝いていたねひとはそうやってこの地上から去るときまであたらしい人の中でにこにこしながら生きていくんだね昔のことは話さず







