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小林英樹ブログ

2009年12月アーカイブ

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北海道の夕暮れは透明感があってよい。1999年、はじめて出版できることが決まり、わくわくしながら原稿を抱えて宅配便の集荷所に向かう途中この橋を渡ったが、そのときも、まだ雪の残る藻岩山の後ろには遥か彼方まで突き抜けた桃色の空が広がっていた。 

幌平橋は中島公園と接していて街の中心まで地下鉄で二駅である。幌平川にも以前は鮭が上ってきていたらしい。後ろに写っている公園のポプラ並木は、2004年の大きな台風で根こそぎ倒されてしまい、いまはない。いま、北海道は真冬だが、北国のよさは冬の厳しさにある。

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ぼくは名古屋に来る前には札幌にいた。大学の教員として北海学園大学工学部建築学科に所属していた。遠く離れてみると、大学はなかなか誇るべきものだったし、教員や学生との楽しい思い出がたくさんあることに改めて気づく。過去とはいつもそんなほのかな喪失感を伴うものなのだろうか。幌平橋から中の島方面を望んでシャッターを切ったが、ぼくのマンションはこの道の左手奥にあった。春とはいえ、北海道はリラ冷えのまだ肌寒い陽気、中島公園にカメラを持って出かけ、薄暮のころ橋の上に差し掛かった。 

夕暮れ時の、陰影が消えたモノトーンの色調の街並みがなぜか昔から好きだったが、とくに、デジカメができてからは明るさ調整を機械がうまくやってくれ、人間の目で見た以上の落ち着いた透明感が出せるから、薄暮の時間帯は絶好のシャッターチャンスになる。実際には、空は写った色よりずっと暗かった。左右にゆったりと蛇行して流れる豊平川が橋の下でさらさらと音を立てていた。遠くからだが、ぼくはときどき第二の故郷である札幌を思い出している。

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ふうたん(猫というもの)は人がやっていることにちょっかいをだしたがる。

新聞を読んでいれば、バシッと意味なく突っ込んでくるし、

虫の居所が悪ければ、ぐしゃぐしゃにしてくれるし、

パソコンをしてれば通り道であるかのようにその上を歩く。

あるいは、ときには休憩所のようにそこに座り込み、

この前なんか、気づいたら温かいせいもあって、居眠りしていたよ。

細かい毛がつくのはいいのだけど、手足の肉球および爪の数が多いので、

同時に何個かのキーを押してくれて、

ぼくらにはできない離れ業をやってくれるよ。

だから、それを元に戻すのが一苦労。

前のくま姐(ねえ)さんのときには、ワード画面に一列きれいに、

たとえば、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx////ppppppppppppp///など、

詩的にうつくしい画面を作ってくれたりしたけど、

ふうたんの動きは、くま姐さんとは比較にならないくらい俊敏で、

思いもよらない事件を起こしたまま消えて行ってくれることがあるから、困ったものだよ。

 

いま、妻が、ぼくの家で着る服の入ったかごの整理ができていない、ちゃんとしてほしい、

洗濯物は汚れたら出して、いつまでも同じパンツをはかないで(はいてなんかいない!)などと、

ぼくをいつもより強い口調で「叱って」いたら、

ふうたんは、右往左往、

まるでくま姐さんと同じようでおかしかったが、

「おとうさん」「おかあさん」のどちらに加勢したらよいのかわからず、

ただ足元で困惑顔。

気づいたらどこかに消えてしまい、

一件落着した後、通路に行くと、所在なさげにぼんやりしていた。

そうっと抱き上げてやったら、やんわりと抱かれてくれたよ。

親のいさかいを悲しがる小さな子供のように、

ふうたんも自分はときに傍若無人であったとしても、

家族にはいつでも穏やかにしてほしいという願いがあることが分かる。

猫には虎に通じる獰猛なイメージもないわけではないが、

本当は根っからの平和主義者である猫の顔が見られる瞬間であり、

猫に教えられる瞬間でもある。

ぼくはゴッホの研究をしている変わった画家です。ぼくのWeb Siteは自分のやっていることを世界中に知らせる目的で立ち上げました。日本国内外の方と連携できることが目的です。大きな湖に細い糸を垂らして何かが引いてくれるのを待つような心境ですが、それもまた楽しみです。

しかし、そういうこととは別に、ぼくの身の回りで起こったことを書いてみようかとも思います。そこでブログを作りました。ブログの感想や意見もあったら送ってください。必ず読ませていただきます。

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随分、ふうたんのことを書いていない。

ふうたんは先週、東山動物病院で去勢手術をしてもらった。

抜糸も終わり、これから人間社会の中で、人間の家族の一員として生きていくことになる。

子孫を残せない、かわいそうなことではあるが、

都会の猫がすでに野良猫や野生動物として生きてはいけない以上、

この処置はいたしかたないものではある。

しかし、どこの猫もみな避妊手術をしてしまった瞬間、

猫という動物はこの地上から消え去ってしまうだろう。

かわいいふうたんも、親が作ってくれたお陰でこの世に誕生したことを思えば、

やや複雑な思いは残るが、この際、頭を切り替え、

これから20年間、夏に亡くなったくま姐さんのように、

お互いに生きていく楽しみを思うことにしたい。

ふうたんは、やはり、賢い猫であった。

これもめぐりあわせだから、そうでなくても付き合っていかなければならないのだが、

徐々に、待つこと、我慢することを覚え、

噛んだら人間が痛いこと、嫌がることを理解し、

お互い仲良くかつ刺激的に生きていこうとする態度が見えてきた。

以前は、はじめはじゃれていても、

興奮しだして、甘噛みが高じて痛いほど噛まれたが、

いまはそういうことがなくなった。

抱こうとするといきなり噛まれて拒否されることも多かったが、

背中を撫でても、振り返ってガブリとやられることもなくなった。

もらってきて二か月が経とうとするが、ようやく希望がもて始めた。

しかし、なんだかあんまりお利口になってくれるとかえって寂しい気がする。

今日は、また、風呂に落ちた。

びしょぬれでも平気な顔、テーブルの上でバスタオルで拭くあいだ中、

大好きな「ドコモ茸」を忙しそうに転がし、

「ぼくは濡れてもへいちゃらだよ!」そんなそぶりを見せながら、

かといって必死で拒否するわけではなかったが、

ふうたんは風呂や水を怖がらないし、

それどころか異常に興味をもっている。

この分じゃ、夏には入浴、もしくは泳ぐんじゃないかと、期待と不安が半々である。