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小林英樹ブログ

DSC02232.jpg風太と力丸。ケージの上に風太、中に力丸。みなさんには初めての二人そろってのお披露目。至近距離でこうしていがみ合うこともなくいられるようにもなってきた。しかし、たまに火花を散らし、威嚇し合うこともあり、引っ込み思案の風太が、ケージの中から手を差し出した力丸の腕に、猫パンチを食らわせたりする。要するに、親しくなろうという気持ちと裏腹に、経験がないこともあり、ぼくが先住者だと誇示するのか、つい手が出てしまうのである。朝、夕方、二回、このような至近距離からのご対面をしたけど、室内が温かいせいか、思春期間近の力丸は自分では律することができない体内の奥底から湧き出るオスとしてのエネルギーのようなものに支配されるようになってきた。急に、ひっきりなしに、動物的な声を発するようになってきたのだ。近いうちに、去勢手術をお願いしなければならないだろう。被去勢猫で温和な風太はこのままでは、二歳年上とはいいながら、男っぽい力丸に圧倒されてしまいそうだから、同一空間で共存できるようにそれも致し方ないと思う。はやく、ケージから出して、自由に室内を歩き回り、風太と共存できることを願っているよ。この二匹のどことなくうつろな眼差しに輝きが現われる日が見たいな。(H)

DSC02166.jpg DSC02165.jpg上の写真は力丸、リッキー。下の写真は風太、ふうたん。対照的でしょ。力丸は風太を上から睥睨しながら威嚇し、風太は、懸命に仲良しになろうとしてケージに近づき、見つめながら合図を送っているのだが、過酷な環境で生き抜いてきた逞しさを有する力丸の方がしたたか、上手であるように見える。ケージから出せば、風太は、最初は睨み合い、そのうち、尻込みして、和室の押し入れの中にお隠れ。このパターンがずっと続く。風太、がんばれ!すべてはおまえさんにかかっているのだよ。

顔つきは随分違うが、身体格好や毛の模様がよく似ていて一瞬、間違えてしまう。さっきは、のそのそぼくの書斎まで進出して慣れた格好で動き回る力丸を、ぼくは風太と思って机に向かっていたほど。

夕方、ケージに力丸をもどすと、どこからともなく風太が戻ってきて、懲りずに、何度も、ケージに接近して、仲良くしようと合図を送っている。力丸は、無視しているか威嚇するか、まだまだ彼らがじゃれ合ったり、一緒に室内を走り回る日は遠い。そして、風太はうちの子、力丸はもらってきた子、その意識がぼくから消え、彼らがともにうちの家族、兄弟に感じられるようになる日が来るまでも、もう少し時間がかかるかな。(H)

DSC09110.jpg DSC09108.jpg今日二度目のブログ更新。左側の写真は、手前「力丸」、奥「風太」。力丸を運動させるためにケージから出した瞬間、押し入れの奥底にお隠れになってしまった風太。いつまでも隠れて出てこないので力丸をケージに戻した。そしたら、和室の扉越しに風太が出現。扉に接するくらい近づいて、廊下の方をうかがっている。力丸をケージから出し、ご対面を試みる。睨み合い、唸り合い、初対面の時の、あの激しい音声ではないが、張りつめた緊張感が漂う。こちらの力丸を見据えながら、やがて、風太が尻尾を軽く左右に動かしているのがわかる。余裕か。風太は世間知らずの箱入り息子ではあるが、二歳年上の貫録と、それなりの経験がある。その余裕のようなものを漂わせているように、父親のぼくは感じた。唸り合い、睨み合いは15分くらいは続いただろうか。力丸が背中を向けて、後ろにあった爪研ぎに乗り、そこに座りなおした。ぼくの軍配は、風太に上がったが、果たして本当のことはもう少し様子を見ないと分からない。風太も、こうして見ると立派な青年になったもんだ。もう一枚の写真は、実はその少し前、力丸が風太が日中、休憩用に使用している箱を自分の寝床にしようとしているところである。風太を知っているみなさんには、この写真が一瞬風太に見えたかもしれない。しかし、よく見ればその違いがわかる。白と薄茶色の模様はよく似てる。しかし、薄茶が山吹色がかっているのが風太、マロングラッセのマロンのような栗毛色が力丸。そして、決定的に違うのが、目。目の格好と眼差し。風太の目はまんまる。世間知らずでお坊ちゃん。力丸は、キャッツアイ、加えて、かなり透徹した視線。厳しい自然環境と、猫6匹、タヌキやイタチなどの外敵の中で、産み落とされてすぐのときから生き延びてきたしたたかさと、生きる厳しさを知っている、100%信頼を寄せない距離感をもっている。両者のこの距離は決して小さくはない。さて、これからどうなるのだろうか。いま、力丸はダイニングルームのケージの中ですやすやお休み。風太は夕飯を与えても食べないまま、いま、写真に写っているあの箱の中で、時折、ケージの中で動いたり小声で泣いたりする力丸を監視している。目は穏やか。だから、心配はいらない。(H)

DSC09091.jpg DSC09092.jpg DSC09100.jpg DSC09101.jpg新しい家族の猫くん、一日付き合って、何回も名前を読んでみたけど、どうもしっくりこない。好奇心が強く、現代っ子的、きりっとした表情、この子に、「まろ」という音が合わなかった。「まろくん」「まーくん」「まー」いろいろやったけど、ちょっとピンとこず、呼ぶ側に平安貴族の古い時代のイメージが付きまとい違和感があった。その結果、「リッキー」「リキ」と呼ぶことにした。戸籍上は「力丸・リキマル」である。

 

 

 

何回か呼んで、響きもよく、顔や姿、身体の動きに合っていたよ。「riki」、「fuu」、母音がiiとuuとなって二匹の音の響き合いもいい。ところが、肝心の風太と力丸の関係がなかなか思うようにいってくれていない。といっても困り果てているわけではない。風太の方がナーバスになって、今日も、ケージの扉を開け、力丸を撫でてやっていたら、こっそりダイニングルームを抜け出し、押し入れの奥底で固まっていた。猫は軽いから引っ張り出せば出せるけど、いわゆる、てこでも動かない状態になっているのだ。目は無表情に虚空を見つめ、家族であるぼくを他人のような視線で見る。嫉妬、いや、憎しみの感情すら交じっていて、無言の抗議に感じられたよ。でも、ここまできたら簡単に後へは引けない。気長に二匹が仲良しの兄弟のようになるまで頑張らなければ、そうは思うものの・・・、外から昨晩入ってきたばかりの力丸の方がまるで我が家を歩き回る家猫のよう。風太が押し入れで震えている間、放したダイニングを出て、キッチン、バスルームまで悠然と物色している。学食前の草むらの上で戯れていた猫が、文明的な空間の中を物怖じひとつしない。この逆転現象!の前に、いくら強気になろうとしてもさすがぼくには無理。

しかし、力丸をケージに収めしばらくしていたら、用心深い風太がのっそり現われ、ケージの外から中の力丸を観察する余裕が見られたので、少し安心した。一進一退、一喜一憂していては猫も人間も体が持たないので、長期戦に備えることにした。ただし、とくに、気弱で傷つきやすい風太をフォローすることを忘れないようにしないとまずいね。力丸は、頭脳明晰なやり手の営業マンという感じで、どこでもそれなりに逞しく生きていけるタイプのようだったから、ぼくはとくに、当分は風太のケアをしたいと思う。写真は、今回は風太ばかりですが、今日の臆病でそれでいて新参者が気になる風太の様子を見てください。風太は必死に生きています。(H)

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愛知芸大の学食前によくいたカフェオレのような毛色の猫くんを可愛がっていたみなさんへ。昨日のメールに経緯と決意を書いた油画教員小林英樹です。昨日は処置、検査後、動物病院に預けました。今晩は、もう我が家の一員になっています。名前が決まりました。「まろ」です。病院でくれる袋には「小林まろ様」と書かれます。

 

呼び方はそれぞれでいいと思うが、風太が「ふうたん」、多分、まろは「まろくん」となると思う。

いま、夜の7時、今日一日は長かった!!!

心配の連続の上、ハイエースにケージなど必要グッズを買いに行ったときに、coco一番の激辛カレーを食べてしまったせいもあって、空腹感がない。

しかし、いまようやく何とか落ち着けた。

写真左が、早速、時折ニャーーン、ニャーーンと鳴きながら我が家を闊歩するまろ。

ちなみに、そのとき、御曹司、風太はいつのまに隠れたのか、押し入れの奥底に身を潜めて異変に目をぎろぎろさせて心臓を高鳴らせ凍りついている!

ぼくが思い描いた最悪のケース。

繊細で臆病で傷つきやすい風太は、こういう異変に耐えられるのか?

ぼくの迷いの大半はそこにあった。

ぼくの目は元気よく歩き回るまろを追いながら「慣れてよかったね」などと妻に語りかけ、喜んだ振りをしながら、胸中はうつろ、思いは押し入れの中で怯えている風太のこと、だが、それが杞憂でありそうだということがしばらく後にわかったよ。

ダイニングルームはぼくらと風太のたまり場、机の上にある手頃な段ボール箱で日中風太はうたた寝をしている。

そのダイニングルームにケージを置き(写真右)、まろは抵抗もせず収まってくれた。

それから30分後、風太は自分のとった行動がいささか恥ずかしくもあったかのような感じを漂わせて何食わぬ顔で入室。

その後、布で大半を覆った隙間から中にいるまろに気づいた風太が覗き込み、睨み合い、そのうちに互いに激しくふいて威嚇し合った。我が家のダイニングルームで、いまだかつて聞いたことがない動物の迫力ある叫び。(なかなか壮観!)

(右写真は、ケージの横から覗き込む、少し余裕が出てきた風太)。

これは、動物の世界のしきたりみたいなもんで、外から見ているとどうなってしまうのかという真剣勝負の火花が散るが、それもひとしきりすると、今度は不思議な音色の唸り声を双方が発し始め、きれいにはもっているようにも聞こえた。

ぼくら人間は想像するしかできないが、ぼくには挨拶を交わし、これからこの空間で一緒に生きていく手探りをしているように見えた。

雅楽のような心地よい響きが、時間をおいて何回か繰り返されているよ。いまここだけでしか聞くことができない運命的な出会い。風太とまろの。合唱のような。

このままいけば、意外にすんなり家族の一員になれるのかもしれない。

 

とりあえず、いただいた猫くんの報告をしました。ぼくは来年いっぱいで退職しますが、まろはその後5年くらいは名古屋にいるはずです。その後はどこへ引っ越すのかわかりませんが、まろはぼくとずっと一緒に暮らしています。まろは寒さとひもじさに耐えてここまで頑張って生きてきました。それに比べたら、マンション暮らしは温室のような快適さです。みなさんがここまで生かしてくれた猫くんは、まろという名前で第二の人(猫)生を送っていけそうです。この選択がよかったかそうでなかったかは神のみぞ知るですね。じゃあ、また。(H)

120203_180222.jpgこの冬一番の寒さだった。名古屋市内でマイナス5度、内陸の長久手はそれよりずっと冷えたはず。寒空の下、7匹の野良猫たちはほとんど野宿状態。だが、彼らは愛知芸大キャンパスに逞しく生きている。その一匹、まだ名前はないが、生後半年余りが経ったオス猫をぼくはいただいてきた。ちょっと前にブログに載せた猫くんだ。

もう一匹片目が失明してしまっている仲良しの毛の長い黒と茶のブチの猫が学食の前にいた学生たちから魚肉ソーセージをもらっていた。とにかく、この寒空の下で生き抜くには、カロリーを少しでも多く摂取しなければならない。

第一難関の冬休みを生き抜き、いま第二関門、酷寒の野宿を耐え、そして、これから迎える、学生の立ち入り禁止期間、入試が始まる。食料の提供者が激減し、寒さは相変わらず残る。そのなかで何匹の猫が生き残れるのだろうか。しかし、その関門を乗り越えられれば、温かな春がくる。病気にかからなければ何とか初冬までは生きながらえることができる。もっとも、夏休みは、極端に食料の供給が減るので厳しい。しかし、寒さが加わらないので、だましだまし生きることは可能だ。

そこしか知らず、そこで戯れる猫くん、捨てられてからそこが故郷であるこの環境に、劣悪とは言いながら、そのまま残すべきか、あるいは、ぬくぬくした人工的環境の我が家に連れて帰り寿命を延ばしてやるべきか、ぼくはこの判断に最後まで迷い悩んだ。天寿を全うするとは何なのか?

そもそも、この思いが頭に浮かんだのは、学食前のベンチで座るぼくの膝の上に二日続けて乗ってきてちゃっかり座ったことに端を発するんだが、何か運命的な出会いを感じてしまったのであった。その気持ちが徐々に高じて酷寒の今日に至った。今日が凍てつく寒さであったことも一要因なのだ。

今日、学食前にいた猫好きの、しかもこの猫くんに餌をあげることを大学での楽しみの一つにしている女子学生たちと少しだけだが話をし、彼らにぼくの迷いと意思を告げると、彼らがぼくの自宅で飼うことを温かい気持ちで後押ししてくれた。その結果、迷いがあったぼくは行動に移れたのだ。「もらい手ができてよかったね」と猫に語りかける方法で、ぼくの迷いと躊躇を吹き飛ばしてくれた。

動物病院での検査の結果、心配していた白血病、エイズ、いずれも大丈夫だった。ほかのウィルスにも侵されていないようで、居住空間に同居すること、猫の風太に悪い病気がうつる可能性は非常に少ないことがわかり、我が家で飼うことにした。肝臓、腎臓など臓器の機能は非常によく(風太よりもいいかも!)、あの劣悪な環境を生き抜いてきた猫であることを証明してくれた。

猫くんが悪い病気にかかっていないことは、愛知芸大の猫に悪い病気が蔓延していないことの証明でもある。厳しい環境は変わらないが、他の猫くん、よかったね。この猫くんは風太と一緒にあと20年くらい生き、ぼくが先に逝くかもしれないけど、ともに最晩年を生きることになりそうだ。ぼくは大学を去っていくが、この猫くんを見ると、必ず、学食前の草むらの上で遊ぶ姿を思い出し、2012年冬の愛知芸大のキャンパスを思い出すことができる。捕獲した時に、油画専攻の女子学生が「決定的瞬間を見ちゃった!」といって喜んで行った姿など、今日の夕刻の時間は永遠にぼくの頭脳の中でくっきりと残っているだろう。

この猫くんをかわいがり、餌をあげてくれた多くの愛知芸大の学生諸君、本当にありがとうございました。小林英樹が大切に育てます。これからは、このブログに、「ふうたん」「○○○くん」として登場しますから、たまに覗いてください。この写真は、東山動物病院の診察台の上に座った猫くん、珍しそうに室内をきょろきょろ観察していたけど、この猫くんは、新環境に動じず、そこでの身の振り方をしっかりわきまえ、堂々としていました。捕獲したときにはカバンの中で暴れましたが、外からやさしく何回か声をかけると、「にゃん、にゃん」と小さな声で何回か泣いたきり、静かになされるまま身を委ねていました。この猫くんのこと気になっている方々、ご安心を。(H)

  

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長久手市も大雪に見舞われた。でも、たまにはいいね。いつも見慣れた景色が、一変に様変わりし、白銀の世界と化す。しかし、融けるのも早い。大地が冷え切っている北国の雪とはそこが違う。猫くんは相変わらず逞しく生きてくれている。いつも、「まがり」、あるいは「節子」と呼ばれている5歳になる猫がよく日向ぼっこをする手すりの上に、今日は、誰が作ったのか、二匹の雪像猫がいた。融けかけていたが、猫の雄姿が偲ばれたよ。もう一枚は、油画専攻のアトリエを出たところ、学生がここでも雪像を作っていたが、さすが、ここは芸術大学である。札幌の雪祭りとはまた違った味わいがある。作り上げたらあとは融けるに任せるだけ。そういうプロセスがあって、誰も見ないところでそれが完結する、そういう良さがあるよ。元気な学生に拍手!!!(H)

 

2012202.jpgちょっと風太に似てる猫くん。

この冬は、いつになく寒い。池の氷は日中でもとけず、池の底で小魚たちが息を潜めて春を待つ。食堂の前の草むらは捨て猫たちの束の間の人(猫)生の憩いの場であるが、早朝、霜が降りた枯草の上で猫くんたちの足の裏はどんなにか冷たいだろうか。今日、ぼくが朝10時半の休み時間に、食堂の前のベンチに座り、温かい烏龍茶を飲んでいたら、どこからともなく淡い栗毛と白の美しい猫がぼくの膝の上に乗ってきた。ぼくが手をまわして囲ってやると、顔をすりつけてニャン、ニャンとかすかに泣いたよ。捨てられる前は家族の膝の上で、ぬくぬくしてもらっていたんだろうと思と可哀想になっちゃった。風太はいつも甘えてぼくの膝やお腹に乗っていつまでもくつろいでいられるけど、この猫は、よほど人の温もり、柔らかい肌の感触に餓えていたんだろうね、向きを変えていつまでも乗っかって甘えていようとしたよ。風太にするようなことを一通りしてあげると、風太がするような反応をする。猫くんはみな同じなんだね。ただ、風太は家族以外にはなつかないけど、この猫くんは人懐っこかった。ぼくは、こっそりしまってある猫の餌を一握り草の上に置いてあげたら、夢中で食べていたよ。ここの猫くんはいつでも空腹。この冬の寒さに打ち勝ち、春を迎えられるだろうか。大学に捨てれば誰かが育ててくれるだろう、そういう考えは持たないでください。ほとんどがその冬、飢えと寒さで周囲の雑木林に入り込んで可哀想な人(猫)生を閉じてしまうんだから。ぼくはもう、そういう猫くんたちを随分みてきたよ。(H)

DSC02138.jpg昨日、風太は飼ってからはじめて一晩中ぼくの布団の中で寝た。横向きのぼくのお腹の前のスペースに丸くなって寝ていた。ぼくは酸素不足を気にして、夜中でもときどき外の空気を入れてやるようにしたけど、そういう意味では、熟睡は妨げられる。でも、嬉しいよ。あの臆病で人一倍用心深い風太が、完全に身を委ね、安心しきって寝ていることに、風太との宿命的な出会いを感じてしまう。

 

ところが、その風太、ときどきこういうことがある。食卓でじゃれるのが好きで甘噛みをしているうちに、突如、ヨタってくるのだ。自分でも律することができず、魔性がどこからともなくよみがえり、野獣と化すよ。そういうときには、そこから離れてやるのが一番で、相手をしてしまうと、さらに凶暴な眼差しになり、「ウーー」と普段は発しないような怖い声を出したりする。ところが、そこを離れてやれば1分も経たたないうちに元のやさしい風太に戻って、さっきはあんなことになってしまったことがまるで嘘のようになっている。傷つきやすく繊細な感情は猫と人間の共通点だが、切り替えの早さ、これは、猫に人間が学ばなければならないことであるね。たまたまではあるが、卓上には読みかけの『天使と悪魔』があったよ。(H)

DSC09058.jpg DSC09061.jpg廊下とダイニングの間にあるブロックを積み重ねて作った壁。ブロックの穴がたくさんあるので、あるとき、そこに小さなグッズを置くことに気づいた。しかし、いまは、そこは風太のおもちゃ、遊び場と化した。以前飼っていた老猫、くま姐さんはあまりいたずらはしなかったが、風太は腕を差し入れて小さなグッズを落としたり、飛び降りて、落としたものを転がしたり、仮想敵に見立てて追い回したりする。標的はランダムであるが、注意して見ていると、とくに風太が興味を示すグッズがある。下の写真の、左の修行僧。これはどの穴に置いても集中的に狙われる。ダイニングのブロックによじ登り、背伸びして、高い穴に置いても狙い撃ちされ、追撃される。前世、よほど修行僧に恨みでもあったのか、修行僧のおじいさんは可哀想である。タイのバンコクから買ってきたお土産だが、ほかの仏像関係に風太は興味を示さない。仏教や宗教ではなく、あの素朴な格好をした修行僧に対し、攻撃的なのである。さて、先週の火曜日、ニューヨークで活躍しているロックミュージシャンのYUJIN・AMANOが覚王山のむじょかという種子島料理の店で小さなライブを行った。狭い場所、参加者の年齢構成など配慮したYUJINのやさしい人柄が出ていたいいコンサートだったよ。その後、食事会で彼が可愛いギターのフィギュアを「お守りに」とくれたので、さっそく飾ったら、その晩風太に落とされた。次の日も、また次の日も、気づくと床の上に赤いギターのフィギュアが落ちていた。何だろうね。新参者は認めない!?ここはおれの縄張りだ!?違うね。何だろうか。よほど新しいグッズに気に入ってそれを落として可愛がっているのかな。今日も、さっき、お風呂に入ろうとしたら、ほかのグッズは棚にあるのに、YUJIN・AMANOがくれたギターだけが落とされていた。(H)